哲学と精読

共通テストは辛い

オンライン家庭教師ができないこと

あるオンラインの生徒の話

オンライン家庭教師の生徒で、業務委託によって紹介された高校3年生の生徒でした。英語を担当しました。いわゆる勉強が苦手で嫌いなタイプの生徒でしたので、理論的な説明は最小限にして、発音・発声して、基本例文を暗唱するなどのアクティビティを多く取り入れる方針で進めていきました。「先生との相性がよいので国語もみてほしい」と言われるほどでした(委託業務にこの件は揉み消されましたが)。

埋めきれない溝

理論的な説明は最小限にするにしても、せめてSVOCと品詞の理解と暗記はしてもらいたかったので、しっかり文型をとって、仕組みを解説した上で暗唱するというスタイルを取りましたが、文が複雑になっていくにつれて、本人の知的好奇心が底をついたように感じました。

或るとき、宿題の出来が異様に悪かった(前回と全く同じミスをしていた)ので、「ノートに書いてあるとおりにやり直してみましょう」と声をかけましたが、本人はしどろもどろ。不審に思ったので、ノートを確認してみると、重要な部分の板書が抜け落ちていました。

私は思い切って「どうして書いていないのですか」と尋ねましたら、「書くスペースがなかった」と。私は創世記のアダムとイヴを想い起こしました。どうしようもない言い逃れをする人間の姿です。私は怒りを押し殺して「ノートがそこで無くなってしまったということですか。次のページはありますか」と問いましたら、彼は次のページを開いて当惑していました。私は付け加えて「板書したことは漏れなく書いてください。授業が早ければ待つこともできますから、ゆっくり確実に書いてください」と伝えました。
その後の彼の反応と対応は、とても味わい深く印象深いものでした。

言葉を受け止めきれない子供の姿

まず、私の「しっかり書いてください」という問いかけを邪険に扱いました。真摯に受け止めませんでした。生返事すらありませんでした。本当に子供じみていて、「ごめんなさい」の一言も言いませんでした。言葉は心です。彼はこの歳になるまで、自分の非を引き受けて反省し、これからどうするのかを周囲に表明するという所作を知らなかったのです。こういった躾はオンラインではできません

第二に、その直後、彼は別の教師に乗り換えました

理由は「相性が悪い」という社交辞令でした。

ご家庭でどのような話し合いがあったかは知りませんが、このご家庭は教育と娯楽を履き違えているように感じました。保護者の方は、当初の面談で「楽しく勉強させたい」とおっしゃっていました。おそらく悪気はなく通俗的な意味でそうおっしゃったのだと思いますが、ここに言葉の罠があると思います。

【勉強】は訓読みすると「つとめて、こわばる」です。これを「たのしい、らく」という語句で修飾するのは形容矛盾です。確かに何かを学ぶことは楽しいです。しかし、そこには訓練や練習といった苦痛が伴います。何かを学習し身につけることは、脳と身体のプログラムを書き換えることですから、そこに痛みが伴うのは当然のことです。スポーツをやっていた、この生徒がそのことを直観的に知らなかったのはとても残念に思います。

オンライン「指導」の難しさ

人間としての基本的な作法に関する指導(躾)は、オンラインでは難しいと思います。躾は人格的な関係、すなわち信頼関係をベースにしてなされるものだからです。ビデオ通話では、本当の意味での信頼関係が構築できないというのは、コロナ禍で多くの人が経験したのではないかと思います。もしできると思うのであれば、それは上辺の関係にすぎないか、あるいは、対面の関係がベースになっている場合だと思います。

完全オンライン、出会いからオンラインという場合には、学生自身がある程度自律的でなければならないというのが、私の考えです。