共通テストは情報処理の大会と化している
このことについては、以前の記事で簡単に紹介した。
凡人に難関大学は不可能なのか?
共通テストで高得点を要求する旧帝大や医学部は厳しい闘いである。
無論、ボーダーラインはセンター試験時代よりも低下しているから、中堅国公立などに望みがないわけではない。
しかしながら、
・教育資金が潤沢ではない
・高校偏差値が65を超えない
このような場合は、《難関私大・文系》を目指すことをおすすめする。
理系・私大の学費について
同志社大学を例にしてみよう。
初年度の学費は入学金などもあるから、2年次以降の学費で比較してみる。
一般的な文系学部(授業料+教育充実費)
963,000+163,000=1,126,000(円)
理工・生命医学部(授業料+教育充実費)
1,464,000+246,000=1,710,000(円)
文系に比べて、理系学部は約1.5倍、国立大学と比較すると約3倍の学費がかかる。
そもそも私大の学費は安くないうえに、この額である。理系学生は修士課程まで進む場合も多いことを踏まえれば、明確な向学心を抜きにして、何となく理系私大に進学することはおすすめしにくいというわけである。
無論、成績状況や経済状況により、奨学金制度を利用することもできる。
代表的なものとして、貸与型(有利子・無利子)と給与型(返還不要)とがあるが、大学や支援組織によって制度もまちまちであるから、相当のリサーチをかけなければならない。
ただ、そもそもその大学に合格しなければ始まらないし、学生本人は学力向上に注力させてやりたいとなると、周囲のサポートがなければ難しい。
在籍している高等学校もサポートしてくれるだろうが、丸投げはできない。
詳しくは以下を参照されたい。
学生納付金(学費・諸会費)と納入方法 |学部入試|同志社大学
地方国公立や中堅国公立をおすすめしない理由
身も蓋もない話であるが、偏差値65未満の学生本人の知能に見合わない情報処理を共通テストが強いるからである。私自身がそうであるからこそ言うのである。
無論、塾や予備校で対策に対策を重ねれば、ボーダーラインを突破することができよう。「君ならできる」、それは異論のないことであるし、努力して掴んだ成果を全否定する気はない。
ただ、いち教師として、その高校3年間を、不埒な大人たちの、杜撰な試験に付き合わせてよいのかという疑問が拭えないのである。
共通テスト対策を通じて、学生が主体的な学習者となるだろうか、学問を愛したり、志したりするだろうか、ということである。
無論、私は《情報処理》が知的技術として不要であると言うのではない。
共通テストが情報処理に傾きすぎていることが問題なのである。
《情報処理》はそこから正解を拾い出す、受け身の作業である。そこから本当に大切な《批判的思考力》や《主体性》は生まれないのではないかと思うのである。
どうして共通テストを課すのか?
ただ、中堅国公立の二次試験をみると、忸怩たる思いがする。
学生の教科理解を試す良問が多いからである。論述形式の問題も、大学生に必要な基本的な日本語能力を問うている。堅実な出題者らは共通テストをどう見ているのだろうか。
私には、《大学のガバナンス改革》という社会問題とは無関係ではないように思われる。文科省には簡単には逆らえない実情があるのだと、希望的に邪推している。
国公立の大学とは、一体何なのであろうかと再考せざるを得ない。
誠実な大学を求めて…
最難関の私立大学といえば、早慶である。
彼らは良問を受験生に問うているのだろうか。この点は些かトーンダウンせざるを得ない。早慶こそ超長文を出題し、毎年一つは出題ミスがあるような大学だからである。実際的な事情として、マーク式の問題によって、多数のハイレベルな受験者をふるいにかけることは困難なのだろう。
この点、慶応は小論文を課し、論述を採点して評価する労力を払っているから、私の観点からは誠実に見える。早稲田の一部の学部では、共通テストを必須にしたりと、東大落ちを拾おうと躍起になっているように見える。
いずれの大学も受験者の基礎的な学力を問うもので、奇問は少ない印象である。
きちんと学習を積み上げていけば到達できる難易度であるし、就活市場で差別されるということも少ないだろう。
いかがだろうか。