哲学と精読

共通テストは辛い

同志社志望の高3生(14)

英語長文の指導

今回も引き続き、システム英語長文Basicの5を読み進めています。下線部和訳の問題おおよびその内容が主たる論点となりました。

下線部の英文

This couldn't be any more different from life after college, where you are your own teacher, charged with figuring out...〔以下、目的語〕

指導のポイント

①Couldn’t+比較級

②Where の位置づけ

③分詞構文

①Couldn’t+比較級

これは定型的な表現としておさえておかなければ、正反対の意味で解釈してしまうおそれがあります。

正しい解釈は「これ以上、Different であることはあり得ない」、すなわち、Different の程度が上限に達したと理解して、「全く異なる・まるで異なる」となります。

ややこしい表現なので、行き詰まったときは、ごく簡単な例文を頭の中で参照して、落ち着いて処理しましょう。例えば、

Couldn’t be better.

「これ以上、よりよいということはあり得ない」→「最高」

②Where の位置づけ

Whereの節が、完全文であることは把握できていましたが、そこからWhereが接続詞であると断定してしまいました。頻度や重要度からすれば、関係副詞から検討すべきでしょう。そうすると、先行詞の候補として、Life が挙がります。Life は一見すると場所とは言い難いかもしれませんが、人生という活動の舞台あるいはフィールドと比喩的に場所と考えることができます。

さらにこの関係副詞は非制限用法となっていますから、「そして、そこにおいては」などと訳すか、一旦文を打ち切って、「これは〜大学卒業後の人生とはまるで異なる。大学卒業後の人生においては…」とするのもいいでしょう。

関係詞が、先行詞を共通項として2つの文を結合していることを改めて確認しておいてほしいです。

③分詞構文

こちらは特に問題なく処理できているようでした。

しかし、「元の文」に戻してみましょうと指示すると、少し困惑があるようでした。

まとめ

関係副詞や分詞構文などの文法事項もしっかりと理解できていますが、「元の文」に戻すといった還元的な視点をもう少し復習しておく必要があるでしょう。

還元的な視点は、教師が説明するための便法のように捉えられがちですが、この視点に立つことで、複雑あるいは圧縮された表現や構文を、長いがしかし理解はしやすい形態に戻すことができるのです。

同志社志望の高3生(13)

英語長文の指導

今回は、システム英語長文Basicの5を扱いました。平易な内容一致などの問題はできていたので、和訳問題の構文を確認したのち、段落ごとに精読を進めていきました。

和訳問題

和訳問題は、必ず正確に構文を把握することから始めましょう。左から順を追って読みながら、文法的な語の役割の可能性を吟味していきます。

今回の英文です。

Just as evolution is a series of trial-and-error experiments, life is full of false starts and inevitable stumbling.

まず、Just as ですが、As の可能性として、前置詞・接続詞・関係代名詞などがありますが、読み進めると、evolution is とあるので、接続詞であろうと期待できます。

さて、そうすると、従属節SVCと主節SVCとを発見し同定できます。接続詞As の意味は様々ですが、形態からして<時・理由・様態>のいずれかであると予想できます。

もう少し形態に踏み込むと、S1・V1・C1:S2・V2・C2となっており、また、意味内容から言っても、V1=V2、C1=C2であることが確認できます。

つまり、ここでは、S1とS2とが、VCという観点において類似しているということが言いたいのだと分かります。よって、様態として訳出すべきであると言えます。

段落ごとの内容理解

第1段落の要旨(学校現場と実社会との対比)は把握できていたので、構文上の論点について解説しました。

簡単にまとめると、従属接続詞節がコンマで区切られない場合があるということと、副詞Soによる慣用的な倒置が論点となりました。

第2段落は、冒頭で教室風景の描写があったのですが、これが少し長い。ここに何らかの筆者の意図なり意識なりがはたらいていると読むことができます。実際に丁寧に読んでみると、「教室のドアは閉ざされ、椅子は教卓に向かって固定されている」といった不必要な描写がありました。あからさまな印象操作とも言えるでしょう。

こういった着眼点からもう一度読み直すと、「生徒の脳に情報を注ぎ込む」とか「生徒はテストに出るのを知っているため、慎重にメモする」とかいった言葉遣いも、印象操作として理解可能になります。

この辺りの記述はかなり一面的です。知識や情報がなしに判断力を養うことはできませんし、生徒も常にテストを気にして授業を受けているわけではありません。先生の話が知的に面白くて一生懸命に聴くということも十分にありえます。まあその程度の英文であるということです。

さて、筆者は大学卒業後の人生は、こうした学校生活とは全く異なるのだという対比を引き続き導入して話を進めていきます。こちらはまた次回。

 

 

同志社志望の高3生(12)

新年度が始まります

始業式まではもう少しありますが、新年度です。同志社志望の高2生も高3生となります。ここ数日は行事等で忙殺されてしまったため、予習が間に合いませんでした。

普段の自習教材を復習する

自習教材として河合出版から出ている『英文法・語法良問500』に取り組んでいただいています。同志社大学は独立した文法問題こそ出題しませんが、長文のなかで文法的に処理すべき整序問題が出題されます。

この『英文法・語法良問500』は、ランダムな10問をワンセットとしているため、短い時間でも取り組みやすく、解説は周辺知識の整理が特に便利です。整序を完成するうえで必要な語法の知識の整理は、忙しい受験生にとっては有り難いでしょう。

復習がてら解いてみると

前向きに取り組んでらっしゃるので、問題を口頭で解いてもらいました。冒頭から、ちょこちょこと難しいものも散見されましたが、それ以前の段階で躓いていたので、まだまだこれからといったところです。

やはり、動詞の運用に関する知識がまだ固まっていません。しっかりと結合価を意識して、語法を整理するという勉強法をとってもらいたいと思います。

同志社志望の高2生(11)

現代文の指導

今回は、自学で進めてもらっている『現代文読解基礎ドリル』(駿台文庫)の復習の確認をしました。テーマは「論と例」です。

まずは、論と例が《論ー例ー論》というサンドイッチのような「構造」をもっていることを確認しました。この「構造」というのが重要で、文章が単に書き並べられた文字の羅列ではなく、《組み立てられたもの》であることを意識しなければなりません。

論と例の構造のパーツが具体的にどこにあるかは、十分に把握できていたので、さらにその「論」や「例」のなかに内部構造がないかを探してもらいました。

今回は、《逆接》と《対比》が見つかりました。これはこのドリルでも後に扱うものですが、解説では触れられていなかったので、丁寧に検討していきました。

アメリカニズムの終焉』

こちらは本日は、軽く触れる程度でしたが、フォーディズムとモノのデモクラシーの理解や相互関係が曖昧でしたので、問答しながら、復習していきました。

同志社志望の高2生(10)

引き続き源氏物語を読む…

桐壺巻を読んでいます。帝から寵愛されている更衣の局が、桐壺であることがやっと紹介される箇所を読みました。

桐壺は、清涼殿から最も離れたと言ってもよい後宮であり、それゆえに《前渡り》が頻発します。前渡りによって、帝の訪問を期待する他の女性たちの気持ちを尽く踏みにじる帝の寵愛は、更衣への憎悪を増幅していきます。

いじめ行為も遂には陰口を超えて、《あやしきわざ》に至るわけです。

文法の確認

弘徽殿女御が、源氏誕生に際して、その立太子を危惧する場面です。

「坊にも、ようせずは、この皇子のゐたまふべきなめりと…」

「ゐ」の文法的性質と意味から始めて、「居る」と言っても《どこにいるのか》、《誰がいるのか》を確定していきました。

格助詞に注目して、《この皇子が坊(東宮)に居る》ということが理解できます。

さて、この「ゐ」に下接する補助動詞・助動詞ですが、「たまふ」は尊敬の補助動詞として、論点となるのは「べきなめり」です。

①たまふ(終止形)+べき

②べき(連体形)+なり?なる?(?)

躓いたのは、②の論点でしたが、撥音便の無表記であることは把握できていたので、もう一息でした。

ポイントは終止形接続の「めり」です。終止形接続の助動詞は、ラ変型動詞には連体形を要求します。ウ段音を要求すると考えればよいです。

すなわち、

②べき(連体形)+なる(連体形)+めり(終止形)

というのが正解です。

同志社志望の高2生(9)

英語長文の指導

3/21(木)の指導です。

システム英語長文を読み進めています。今回は、特にディスコースの展開を意識しながら、読解の要点を把握していきました。

決まり切ったディスコースマーカーは当然として、そうした紋切り型の思考法を超えて、ディスコース分析ができるよう指導しています。

例えば、From time to time という表現があります。これは「時々」という頻度を表す副詞句ですが、本文においては《事実上》具体例を導出する表現として機能していました。

少し詳しく書きますと、第1段落では《友人関係による精神面での良い効果》が述べられていたのですが、第2段落で冒頭に From time to time とあって、《こういうことが時々あるよね》といった感じで、その効果を少し具体的に述べていました(詳細はシステム英語長文Basicの4の長文をお読みください)。

いわゆるディスコースマーカーと呼ばれて整理されているものに注目すべきことは、受験生にも広く知られるようになっていると思います。これ自体はとても良いことなのですが、真摯なる読解のためにはなかなかどうして、そういった単純な図式適用だけでは立ち行かない複雑性があります。

 

同志社志望の高2生(8)

指定校推薦か一般入試か…

同志社志望の高2生、現在在籍している高校で指定校推薦を十分に狙える位置にいます。しかし、同志社は理系の枠のみ…関西大学なら枠は十分に用意されているとのことです。指定校推薦で進学できれば、その後は試験のプレッシャーもなく、安泰に過ごすことができますから、悩ましいところです。

指導者としては、ある程度プレッシャーのある状況のほうが、学力がつくと思う面もありますが、意見の分かれるところでしょうか。

現代文の指導

3/18(月)の指導、引き続き『アメリカニズムの終焉』第3章を読んでいます。今回は、ほとんど思想史的な視点からみた近代史といった感じになりましたが、デモクラシーやナショナリズムといった基本的な評論文キーワードをおさらいしつつ、精読していきました。

今回は、19世紀および20世紀の国際秩序の維持の仕方の相違について学びました。20世紀デモクラシーの台頭とそれに由来する《民主的外交》が、19世紀の貴族社会による秘密外交に取って代わり、これが国際秩序の大きな転換点となりました。勿論、秘密外交はダメで、民主主義が素晴らしいなどという絵空事ではありません。

19世紀ヨーロッパにおいては、デモクラシーの要求を良い意味で無視することのできた各国の貴族たち職業外交官は、同族意識に基づいた貴族社会を形成していたため、暗黙の価値観やルールを共有していました。そうした規範意識のおかげで、外交官の振る舞いは、過激になりすぎない節度あるものとなったと考えられています(モーゲンソーやギゾーの指摘が紹介されています)。貴族社会という超国家的な社会が、国家間の利害対立を調停する機能を担っていたという指摘は興味深いです。

さて、20世紀になり、デモクラシーが台頭しますが、これはナショナリズムと無関係ではありませんでした。それゆえ、民主的に選出された外交官は、ナショナル・インタレストを最大化するような仕方で振る舞うようになり、いきおい、国家間の衝突が激化します。国際連盟もなければ、貴族社会もない。国家を超えた存在として、国家間の利害を調停する機構が存在していないからです。

ここに新たな調停機関、さらには、その調停機関を支える道徳的理念が必要になってきます。19世紀においては、貴族社会の暗黙の道徳的観念(節度ある外交)に依拠していたわけですが、デモクラシーによりこれが失われたからです。

ウィルソンの第一次大戦への参戦理由「世界のデモクラシーを守るために」という宣言は、国際連盟構想とともに、このような文脈で世界史的意義を有するのです。

19世紀から20世紀にかけて、軍事力や経済力のうえで、アメリカが覇権をイギリスから勝ち取りつつあったことは間違いないのですが、こうしたソフト・パワーにおける優位性も覇権獲得に関係していることは、前回のカーによる指摘でも確認しました。

さて、そのアメリカがデモクラシーを世界に広めていった、あるいは、世界各国がデモクラシーを受容した要因は、タウンミーティングのデモクラシーと対比される、モノのデモクラシーでした。

アメリカは、フォーディズムの発想の元、19世紀イギリス型の搾取経済から、大量生産・大量消費による好景気循環によって、経済を拡張し、労働者を消費者に変貌させていきました。同じ商品を買い求める消費者層の形成により、同質的な国民意識が偽装されるわけです。

同じ商品は、同じ生活水準を保証してくれます。そしてこの大量生産による規格化された商品は、普遍的に流通する可能性をもっており、商品とともに、それを買い求める消費者によるモノのデモクラシー、かっこつきのデモクラシーが世界に波及することができたのです。