哲学と精読

共通テストは辛い

同志社志望の高3生(21)

現代文の指導

『現代文読解基礎ドリル』に取り組んでいます。今回は、演習8と16とを扱いました。

対比の意識は少しずつ芽生えている

私の見立てでは、どうも学生本人は対比を並列に矮小化しがちです。対立的に導入されている《AとB》を単なる列挙的並列と把握してしまうのです。今回もその傾向が見られましたが、以前より少しの補助で軌道修正できるようになっています。

演習8は、ヴァケイションとホリデイとの対比でした。各特徴は割愛しますが、対比において重要なのは、両者に共通点もあることです。共通の要素がなければ、対比が成立しにくくなります。

例えば、

ペットという共通点をもつ、犬と猫なら、対比が可能です。しかし、共通点がほぼ無いといってよいような、犬と電子レンジは対比が困難です。

今回の対比は、「労働を中断する」という共通点をもった、ヴァケイションとホリデイとの差異が対比されているのです。この対比の前提となる共通点は、あまりにも自明であるがゆえに《書かれない》場合もありますから、慣れないうちは意識して練習しましょう。

より精緻な対応関係を考える

演習16では、論と例がテーマでありました。

論においては、日本人の美意識が、階級を越えて共有された生活美学であったと主張されます。それを承けて、後段では、明治期の尋常小学校の教科書に、大学レベルの高度なデザイン技法が収録されていると指摘されます。

さてこの後段の例証は、論のどの部分をサポートしているのでしょうか。解答解説は残念ながら、荒っぽい段落ごとの対応関係しか指摘していません。

まず、論のポイントを整理しましょう。そこでのテーゼは大きく言えば、2つの系統に分かれます。

1.日本人の美意識は、階級を越えて、全ての日本人に共有されていた。

2.日本人の美意識は、生活の中から美を見出そうとする生活美学であった。

厳密に言えば、今回の例は、論の1の部分をサポートしています。つまり、小学校というほぼ全員が通う学校に、高度なデザイン理論が収録されていたという事実から、それが当時の日本人にとってはさして難解ではなく、常識的に知っていることであったと推論し、以て日本人全員に広く美意識が共有されていたことが明らかになります。

筆者の挙げる例からでは、日本人の美意識が生活美学であることは必ずしも推論できません。

アメリカニズムの終焉』を読む

筆者が引用する個性のイデオロギーの問題点を思想史的に敷衍しながら、数点確認しました。デモクラシーのイデオロギーが政治の領域から飛び出したとき、優れたものが平凡なものに飲み込まれていく有り様が洞察されています。

その後は、自由貿易に関する古典的な理論を政経の資料集などもあわせて勉強しました。主にリカードの比較生産費説が自由貿易の理論的根拠とされていますが、それは生産手段や生産条件が国境を越えて移動しないことが前提となっていたことを筆者は指摘します。各国の得意分野は、イギリスの土壌は〜に適しているが、ポルトガルの気候は〜に適しているといった、交換不可能な条件に基づいているという想定だったのです。しかし、現代では、圧倒的に優位に立つ情報産業の生産手段は、国境を越えて移動します。土地や環境に左右されることもない上、技術者をヘッドハンティングすることもできるからです。