哲学と精読

共通テストは辛い

同志社志望の高2生(7)

源氏物語を読む

吉海直人『源氏物語入門〈桐壺巻〉を読む』をテキストにして、読み進めています。本書は、基礎的な文法解説こそ割愛されていますが、その分、鑑賞が豊かに記述されています。

鑑賞は、文法や形式論理に基づいた「なるほど」と思わせるものから、背景知識をベースにした「そんなことまで分かるのか」といったものまで、豊富にあります。

授業では、注目すべきポイントを中心に、口頭で要約してもらいながら、理解を深めていくとともに、難解な箇所は、品詞分解していきながら、文法知識の演習を行なっています。

鑑賞のポイント

今回は、語りの文体に注目する解説・鑑賞がありました。

桐壺巻の冒頭「いとやむごとなききはにはあらぬが…ありけり」とあるのに対して、しばらくすると「…きはにはあらざり」と表現されているということが指摘され、そこに語り手の高揚が確認できるということでした。

つまり、間接的に経験された過去(伝承的過去を意味する「けり」を用いる限り、語り手は、冷静で客観的に事実を語り伝えるというモードであるわけですが、これが、直接経験の過去を意味する「き」に転換していることから、主観的な語りになっていることを見るわけです。

ここでの語り手の主観的な気持ちというのは、桐壷更衣に対する《同情・同調》ということでした。

「き」と「けり」の違いー文法と読解

「き」と「けり」との違いは、文法の授業でも扱われますが、その後の読解においては、あまり触れられない傾向にあると思います。これらの区別・相違が、どこまで徹底されていたのかは問題になるからなのかもしれません。

しかしながら、この時期の古典的作品においては、区別して用いられているという前提で読むことで、新たな読みや深い読みができるというのは、面白いところです。

文法のポイント

文法は「…せたまふ」が論点となりました。

基本的には、「…せたまふ」という形式であれば、二重尊敬と考えてよいのですが、この「せ(す)」が厄介な存在です。そもそも、使役・尊敬という連続的な意味の助動詞ですから、識別が困難な場合がります。

基本線は、文脈において、使役の対象が認められるかということです。すなわち、二重尊敬を受けるような主体の行為として考えられない場合や、その行為を担うべき者が主語以外に存在する場合です。

例えば、今回は

「(帝が)おおとのごもりすぐして、やがてさぶらはせたまふ…」という箇所では、《やがて・さぶらは・せ・たまふ》と分解できますが、この「せ」を尊敬と考えることはできません。

注目すべきは、本動詞「さぶらふ」です。これは謙譲の本動詞ですから、「貴人の側にお仕えする」という意味です。一般的に言っても、帝が貴人の側にお仕えするという状況が考えにくいことに加えて、この場面は、帝が桐壷更衣を側において離れさせないというものであることを踏まえれば、帝の行為と考えることはできないからです。

したがって、ここでは使役とみるべきなのです。

すなわち、《帝が、桐壷更衣を使役して、お仕えさせなさった》という理解になります。主語は帝ですが、使役の対象は桐壷更衣です。

英語で言えば、S(帝) make O(更衣) serve...となるでしょうか。